日々の思索紀稿

Twitterでは収まりきらない日々のネタ、しょうもない出来事などを書くには大きなスペースがないと、ということで作りました。Twitterの拡張版と思ってもらえたらいいと思います。少し前にブログのタイトルを改変しました。タイトルにある「紀稿」の文字は、僕が体験したことを綴るという意味の「紀行」、そしてブログを書くという意味の「起稿」を掛けてます。どうぞよしなに。

【閲覧注意】唐田えりか 東出昌大 不倫 検索

「destroy(破壊する)」を「destory」と書き間違えて「デストーリー」になっちゃいました。デストーリーってなんだよ。どうも、尾崎です。

 

さあさあさあ、今芸能界は女優の唐田えりかさんと俳優の東出昌大さんの不倫騒動で持ち切りですねえ。今回は僕の日々の出来事から少し離れてたまには(たまにはという程更新してない)ゴシップな話でもしたいと思います。

 

 

 

 

簡単に概要を説明すると、女優である杏さんの夫・東出昌大さんと唐田えりかさんが不倫してた、と…。くっ、ニュースがどんどん分岐して細々していってしまってるのか根源となる元のニュースが見当たらない…!概要を説明しようと思ったら2行で終わっちゃった…。

 

 

まあいいや。僕が言いたいのはこれがどれだけ悪いことか、とかじゃない。「膨れ上がった民意の恐怖」について話したかったんです。

 

再度繰り返すと、杏さんの夫である東出昌大さんと唐田えりかさんが不倫してたと。勿論この事実に対して「そこまで悪いことじゃないだろ」とか擁護するつもりは一切なく、ただただ反省してほしいと思ってますが、僕の、中学の頃の地獄のような経験から導き出された視点は、その失態に対する世間の意見の尋常じゃない辛辣さに向いた。

 

ーーー

 

僕は中学3年生の頃に「親の同伴無しにカラオケに行ってはいけない」という校則を友達の誘いに乗る形で破ったことがあった。勿論その時はカラオケに友達と行くことにしか目がいかなくて、最中もまあまあ楽しかったことを覚えている。

 

しかし、後日同じ部活内の人達に生徒だけで行っていたことがバレ、凄く責められた。悪夢が始まった。

 

廊下ですれ違うとその件に触れられる。

 

当然のごとく人から人へ噂が伝わっていく。

 

挙句の果てには僕が部活の大会の団体戦に選ばれると耳元で「あれ、ルール違反した人がメンバーに選ばれてる」などと言われる。

 

心配してくれた友達は数人だった。

毎日毎日相談に乗ってくれた友達は1人だけだった。

 

僕は容姿ーー身体的形状でその前々から弄られていたのだが、僕の知らないところで誰かが黒板に僕のその特徴を描いて皆で笑っていたことを、それまで信頼してた友達が嬉嬉として僕に伝えてきたこともあった。

 

 

でも僕は「やめて」を言えない立場だった。失態を犯したのは僕自身だったから。

 

何度もぐちゃぐちゃにしてやろうと思った。何もかも。

 

 

 

この騒動は後に沈静化し、嫌がらせをしてきた子達とも卒業時には普通に話していたが、教室から出られない、部活にも励めない。一生忘れることの無い、心が日に日にギシギシと音を立てながら抉られる体験。起きたのは5月の中旬、僕の15歳の誕生日にも重なっていた。

 

 

 

 

僕の話が長くなってしまい、最初の勢いはどこ行ったんだと言われかねない状況になってますけど、何が言いたいかと言うと、本人は本当に不祥事の事を反省していて、赤の他人の辛辣な意見に物凄く傷ついていても、その当事者には「もう言わないで」の発言権はないということ。

「じゃあしなきゃいいでしょ。誰がやったのさ」と言われるだけ。対抗したらその先には「負け」しか待ってない。

 

誰かしらが問題を起こすと、この壮絶な体験に基づいて、僕は辛辣な意見ばかりをこれでもかと吐き続ける世間に、もっと寛容の心を持ってもいいんじゃないかといつも思う。

そういう辛辣なことばかり言う人達って、僕みたいに地獄のような体験をした経験がないからそんなことが言えるんだと思う。

「ごめんね」と反省したら「いいよ」と許してあげる。幼稚園児でも出来ることが大人になると出来なくなるのである。

 

ーー補足だが、薬物等で捕まった人達は少しこれとは外れる。同情は出来ないし(吸った事ないから)、しっかり反省してくれと思うだけ。

 

ハライチの岩井さんも呟いていたが、他の家庭の事情に他人がドカドカと踏み込むもんじゃないと思う。

 

 

長くなっちゃったな……。具体的な話が長すぎて結論がよく分からなくなる僕の悪い癖が出ちゃったかもしれません。ただ、僕の言いたいことはほぼ全部言いました。スッキリした。これ読んで「は?何言ってんだよこいつ」と思う人ももしかしたらいるかもしれませんが、やっぱりそれでも人の心の中に「許す」という心の余裕を持って欲しいと切に願います。