日々の思索紀稿

日々の出来事や趣味(特に乃木坂46)などを自由につらつらと書いていきたいと思います。

哲学【文章長め】

5、6歳の頃、「傘の上を自転車で走ったらどうなるか?」と疑問に思い実験し、見事にバキバキに壊しました。どうも。

 

僕は高校2年に上がるタイミングで、文系か理系か、又どの科目を専攻するのかを決める際、文系そして公民は倫理を選択しました。

 

最初は倫理もとい哲学には興味もなくただ「政治・経済はやっててつまらないから」という理由だけで倫理を選んだ僕ですが、2年の終わり頃、古学派の山鹿素行を授業で学んでいる時に突然哲学に目覚め、自分で言うのもなんですが、それから1年メキメキと成績を上げていきました。気持ちいいほどに。マジで。

 

そうやって倫理を深く深く勉強していくと、ここが倫理を学ぶにあたっての真骨頂であり倫理の素晴らしいところだと思うのですが、様々な事象を俯瞰的に視る力がついてくるんですねこれが。

 

今回はその過程で「これは毎回思うのだが」と自分の中での考えを体系化した、いわば一種の僕の「哲学」を紹介したいなと思いまちょっと待って、話つまらなそうとか思わずに読んでよ。ここで閉じないで(焦り)

 

 

 

ズバリ断言すると

突き詰めすぎは毒

これです。

 

つまり、何事もやりすぎ突き詰めすぎ偏りすぎは色々な面で支障をきたすということです。

 

「は?好きなことを極めるのがダメって言うのか?」

ストップストップ。ちゃんと順序立てて説明します。

 

例えばわかりやすい例で言うと「右翼・左翼」

「右翼」とは保守主義、排外主義的な思想を持った勢力のこと、「左翼」とは革新的急進的な自由主義思想を持った勢力のことですよね。

天皇制度を護持するのが右翼、廃止すべきとするのが左翼と考えれば分かりやすいでしょうか(実を言うとハッキリとした右翼左翼の定義最近知った)。


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この人たちは自らの主張に絶対的な自信を持ち、対立する側の主張を断固として受け入れないですよね。そういうとこなんですよ。自分の主義主張、考えに固執すればする程相手の意見を何も聞かず、省みることもせず、ゆくゆくは思想団体、もっと言えば思想自体が「危ない」と認知されてゆくのではないでしょうか。

 

学問に至ってもこれに当てはまると思います。今の世の中、問題が細分化、深刻化し、専門的な知識が必要不可欠となっています。その点ーー「専門性」に至っては学問を突き詰めることのメリットの部分ではあるでしょうが、その反面、専門性を極めることで問題を解決するにあたり偏った考え、一面的な考えしか出来なくなるというデメリットが生じます。

偉そうにここまで言ってますけど、この僕の考えでさえも「哲学」「倫理」的な面に傾倒した一面的な考えである可能性も否めないのです。

 

 

学問もそうですし、もっと身近なところで言えば「趣味」も属するのではないでしょうか。

 

先述の思想系に比べれば趣味の傾倒なんてかわいいもんですし、格別常に何か社会にとって害を及ぼすかと言われるとそうではないのですが、僕自身乃木坂46を応援するいわゆる「オタク」である為、自身の経験や俯瞰的に見ていくとやはり趣味も突き詰めすぎは毒なんじゃないかな、と思うに至ったわけです。

 

今でこそアニメやコスプレの文化が一般市民にそこそこ知れ渡ってきてますが、悪いですけどまだ「オタク」は「ちょっと受け付けない」のが現実じゃないですか。どうしてこうなっちゃうんだって考えたら「知りすぎてる(悪い意味で)」「何でもその趣味と結びつけてしまう」時には「興味をもって欲しいがために知識を押し付ける」等が挙げられます。

考えてみたらその迷惑さ加減は一目瞭然。

例えば僕が道を走る自転車を見て「自転車と言えば乃木坂の3rdシングルが『走れ!Bicycle』で、『ロマンスのスタート』のMVに出てくる主人公の自転車の名前が「ゴードンⅢ世」で、『そんなバカな・・・』の中の歌詞の中ではパンクしてて、色々言ったけどやっぱどれ観てもメンバー可愛いんだぁ!………どう?興味持った?」

気持ち悪すぎる。なんだコイツ。持つわけねえだろ黙れ。

ドン引きですよこれ。今自分で文考えてても、よくこれだけ自転車で話広げられたなと二重に引いてます。

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ここまで読んでお気づきの方もいるのではと思うのですが、上に挙げた僕の考えは古代ギリシャ、また19世紀の哲学者に関係します。

 

アリストテレス

「万学の祖」と謳われるアリストテレスは極端な生き方をせず穏当なことを目指す「中庸論」を提唱しました。

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ジョン・スチュワート・ミル

質的功利主義で知られるミルは、他人や社会に悪影響を及ぼさない限り、個人の自由は国家や規則によって干渉されないという「他者危害の原則」を提唱しました。

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最も影響を受けているのは①の方ですね。「中庸論」で説いているのはあくまでもポリス(都市国家)においての生き方(例えば、蛮勇と臆病は極端であり、その中庸:勇気が徳を得るために必要)に関して述べているので、僕はこの中庸論の近現代バージョンとでも言うべきでしょうか。

②に関しては主に「趣味」に関わっていると思います。ひとつの道を極めるのはとても大変ですし素晴らしい事なのは紛れもない事実ですが、変な方向に思い切りがよくなりすぎると他人に悪影響を及ぼすことも無きにしも非ずなのです。自分が乃木坂の応援してて常々痛感することです。

 

 

 

突き詰めすぎた結果どこかで支障をきたす場合があるのとは逆に、それがとても有用となるケースがあることもあります。例えばさかなクン参議院の調査会に出席した話。さかなクンの魚に関する専門知識は毒になるどころかとても役立っています。

専門的知識がどこで毒になるか役に立つかの違いが現れるか、考えてみると「教養」によるものが1番大きいんじゃないかという結論に至りました。

一点集中して蓄えた知的財産を有効的に活用できるかは教養という形で培われた力を使って、ここで知識を発揮すべきか否かを判断するしかないと思います。

 

 

 

 

僕はまだまだ知識も見聞も充分でない為、こうやって述べたことに明らかな間違いとか、考えが浅はかすぎることは出てくることでしょう。

あと改めて言いますが趣味を単純に極めることは悪ではありません。アニメやコスプレ等を否定しているつもりは一切ありません。

 

それを踏まえた上でここでベラベラと書き綴ったことが何か一つでも今読んで下さっている読者様の心に残って頂けると幸いです。